糸川英夫の願いは、2000年前に滅ぼされた国が再び建国されるという人類史上、奇跡と思える出来事に秘められた真実を日本人に知らしめること。その思想を継承した者として、私はイスラエルの旅で伝えたいテーマをこう組み立てています。

旧約聖書の時代のイスラエル

旧約聖書、創世記、また出エジプト記に書かれているドラマを現地で感じ、神話が、祖先から私たちに届けられた真実であることを知るのです。

始まりなき始まりから、終わりなき終わりへと続く旅の途中を生かされる私たちにとって、神話とはまさに神の歴史であり、民族のアイデンティティそのものと言えましょうか。

その神話を共有する仲間のことを「民族」と呼ぶのだと知ります。

歴史を失った民は、必ず滅びると歴史が証明しています。

人間とは歴史の生き物であり、人間から歴史を取れば動物以下になるのですから。

旧約聖書の時代のイスラエル

新約聖書の時代のイスラエル

新約聖書の時代のイスラエル

聖書を基に、現地をめぐり聖書が本当のことであると体感します。

ベツレヘムで生まれ、30歳までナザレで大工として暮らし、時至り、天の国のことを説いた一人のユダヤ人が世界を変えました。彼の誕生からカウントされる「西暦」という時代を私たちも生きています。

わずか3年の伝道生活です。

彼は、ユダヤ教の宗教家たちから憎まれて殺されました。ユダヤ教は、戒律を守ることが神との約束だとしています。
しかし、肉を持つ人間に律法を守り、神との約束に生きることは不可能だと言ったのです。そのために、自分が神から送りだされ、律法を完成させるためにこの世にやってきたと公言しています。

彼が伝えたことは、本当のことだったのでしょう。

そして、本当に死んで、3日後に復活して、肉は滅びても命は死なないということを見せてくれました。新しい約束に入る道となってくれたのです。

それが、新しい契約で、それ以前が旧約となりました。

旧約は、古い教えなのではありません。救い主が現れるまでの、養育係としての教えであり、救い主へとつながる大いなる約束であることは今も変わりはありません。

彼が地上を歩いた2000年前の約束は、いまも生きて働いています。

ガリラヤのナザレという小さな町に生きた一人のユダヤ人の名を、地球に生まれた人々のほとんどが知っているとはなんということでしょう。それだけでなく、遠く離れたこの島国でさえ、彼の誕生日にお祝いをしています。

アジアの西のはずれ、イスラエルが生んだ救世主は、人々のために命を捧げ、主のために自分を捨てた、まさに神の如き人。彼の教えは、使徒により伝えられ、パウロは命をかけてローマに届け、やがて世界宗教になってゆきます。

史上最強のスーパースター、イエスキリストを足の裏で感じてゆきます。

旧約聖書、創世記、また出エジプト記に書かれているドラマを現地で感じ、神話が、祖先から私たちに届けられた真実であることを知るのです。

新約聖書の時代のイスラエル

国を持たず流浪の民となった
ユダヤに学ぶ

国を持たず流浪の民となった

イエスが、やがてくるイスラエルの運命を嘆き悲しみながら殺された40年ほど後、ローマ軍によってイスラエルは滅ぼされ、地上からユダヤ人国家が消滅します。

女性や子どもを含む967人のユダヤ人が立てこもった自然の要塞、死海のほとりにそびえる400メートルの高さの岩山、マサダ。三年間の戦いの後、集団自決の道を選んだユダヤ民族の想いが今もなお刻み込まれた遺跡です。その場所で、当時のユダヤ人たちの思いにアクセスする時、英霊たちの無念が胸に飛び込んできて涙こぼれるのです。

2000年前のマサダの戦いに敗れ、国を失ったことを決して忘れないよう、イスラエルでは軍隊の入隊式を今もこの地で行なっています。ユダヤの民は13歳で成人し18歳になると国民皆兵、男子は3年、女子は20カ月の兵役につきます。

こうして国を失ったユダヤ民族が、異邦人の中で生きながらも、ユダヤ人としてのアイデンティティーを失わなかったのはなぜでしょう。

しかし、異邦人の中にあって民族心を失わないユダヤの民は、大変な迫害を受けることになります。ロシアのポグロム、そしてナチスドイツによるホロコーストは人類史上に残る大虐殺となりました。

ユダヤ人だという理由だけで、殺される。​

人間は一体、どこまで残酷になることができるのでしょう。そして、ユダヤ人の魂の叫びを魂で感じることで、国を持たないということが、どれほど悲しく辛いことなのかということを、国があるのが当たり前になってしまっている日本人に体感してほしいと思うのです。

イスラエルの建国に学ぶ

イスラエルの建国に学ぶ

単なる観光旅行や聖地巡礼では行くことのないイスラエル建国の物語を現地で知ってもらいます。

イスラエルの建国はホロコーストがあったからだと言っても過言ではありません。国をもたないユダヤ民族が600万人殺されたのです。当時、度重なるユダヤ民族への迫害にショックを受けたオーストリアのユダヤ人新聞記者テオドール・ヘルツルは、ユダヤ国家建設のプログラムを詳細に記した『ユダヤ人国家』という本を書き、第一回シオニスト会議を立ち上げます。すると、当時37歳のたった一人の男の叫びによって世界中から200人ものユダヤ人が集まった。そこで彼は
「もしみんなが本当に僕の言うことを信じれば、これは物語ではなく本当に実現する。50年後に我々は約束の国に帰る」と宣言したのです。

結局ヘルツルの預言は外れました。なぜなら先ほど述べた「独立宣言の家」テルアビブにあるその小さな家で、ダビッド・ベングリオンによる歴史的な建国の宣言がなされ、国歌ハティクバが演奏されたのは、この会議から51年後のことだったからです。

2000年も国がなかったイスラエル国は、わずか70年のうちに見事なまでに砂漠を緑化して自給自足と持続可能なコミュニティ国家を築き上げ、そして、国民には国家の一員としての確固たる帰属意識(国民的アイデンティティ)を構築しています。これほどまで国家、国民として自立している国は他にはないでしょう。

一方、この同じ70年間で2000年以上も歴史のある日本は、一体どうなってしまったのでしょうか。100%あった自給率は3分の1近くまで低下し、祖国の歴史も知らず自国に対する愛情も失い、大和魂を抜かれて完全に骨抜きの依存国家となっています。

ところで、国家的な日本とイスラエルの関係ですが、そのスタートについて日本ではあまりよく知られていません。日本が敗戦を迎えた6年後の1951年、「サンフランシスコ講和条約」によって日本は主権を回復しました。が、その直後、日本と最初に国交を樹立した国がイスラエルだったのです。1952年7月1日、建国の父として今もイスラエルで尊敬されるダヴィド・ベングリオン首相は、当時の日本国民に向けて「ベングリオン書簡/友情のメッセージ」なる談話を発表していたのです。

「日本国民の皆様に、共同通信を通じて、謹んで友情のメッセージをお送り申し上げます。このたびイスラエル・日本両国政府は、外交関係成立の意向を発表しました。お互いの国の首都に、公使館が開設される日は遠くないと確信していますが、この事実は両者を隔てるものではなく、むしろ結びつけるものです。広大なアジア大陸は両国をつなぐ連結路であり、アジアの運命についての意識は両国共通の思いです。イスラエル国民は、欧州、アジア、アフリカなど全世界から帰還してきましたが、我々のルーツおよび過去、さらに未来はアジア人にあります。人類の偉大な師は皆、アジアから出現しましたが、今や再びアジアは世界の諸国民の中にあって、ふさわしい役割を担いつつあります。アジアの両端から両国の絆が広がりつつあることを嬉しく思います。皆様の代表がイスラエルを訪れてくださって、真の民主国家、そして離散したユダヤ民族のホームとしての国を発展させようとする努力のみならず、現在携わっている農業や産業界のようすをご覧いただいたことは、私どもの喜びとするところです。私は再建に向かって日本民族が偉大な業をなされることを心から祈念し、それがアジア大陸の平和、発展、繁栄に寄与すると確信しています。/1952年7月1日」

​当時のイスラエルの最高指導者が“イスラエル国民のルーツと未来はアジアにある”とするメッセージを日本に送っていたことは驚愕に値します。

イスラエルの建国に学ぶ

あるとき、イスラエルの友が私にこんなことを尋ねました。

「Mr.アカツカ、君は日本のような危険な国に住んでて怖くないか?」

私は驚きました。イスラエルがいつも危険と隣り合わせというような場所でないことは分かるようになっていましたが、それでも国民皆兵制を国是とする国です。かたや日本は世界で唯一戦争を放棄している国、一体どこが危険だというのでしょうか。友は続けました。

「日本では、友達が友達を殺したり、親が子供を殺したりするそうだね。同胞がどうして殺し合いをするんだい?それから、自ら命を絶つ人が毎年何万人もいるそうじゃないか?たしかに僕らの国では皆が兵士となるけれど、それは国を守るためであって大切な同胞や自分自身の命を奪ったりすることは絶対にない。アカツカはそんな危険な国に住んでいて怖くはないのか?」と。

私には、返す言葉もありませんでした。

魚に水が見えないように、鳥に空気が見えないように、人には自分が見えない、日本人には日本が見えないのです。イスラエルという異民族・異文化の世界から見えてきたのは、歴史を失った根なし草のような日本であり自分の姿でした。

18歳になると男女とも全員軍隊に入り、国を守ることを当然とする国と、同胞をいじめ殺害する国。一年間に紛争で数十人の犠牲者が出る国と、毎年三万人を超す自殺者を生み出す国。13歳で成人を迎え自立してゆく国と、20歳になっても大人になれず引きこもったり、自立も出来ない国。子供は国の宝として可能性を引き出す教育のできる国と、自分の子供を虐待し挙げ句の果てに殺してしまうことまである国。砂漠の中で農業を成り立たせ自給自足している国と、命をつかさどる食料をほとんど輸入に頼る国。

二度と国が滅びないように徹底的に歴史を教える国と、民族の歴史を忘れてしまった国。

一体どちらが危険な国なのでしょう…

イスラエルの旅を通して、想像を絶する荒野の中を進んでゆくうちに、いつしか日本が見えてきます。資源に恵まれないと思っている日本が、実に豊かな水資源大国であったことを知らされたのも砂漠の中です。糸川博士は、日本は欧米に学ぶ時期はとうに過ぎた、これ以上欧米に追従すれば日本は滅ぶと言いました。これから日本が学び、パートナーとして手を繋ぐべき国はイスラエルだと言い続け、イスラエルに一人でも多くの日本人を連れてゆくことに糸川博士は最後の人生をかけたのです。

その想いが、いまも私の胸の中で火となって燃えています。

糸川博士は、行かなかった国はないと言ってよいほど世界中ほとんどを放浪していて、世界中にたくさんの友達がいました。しかし、博士が人生最後に選んだパートナーの国は、そんな多くの国々のどこでもなくイスラエルでした。

「何故イスラエルかということは、これ神のみぞ知るということでございまして、私の意志で決めたというよりも、自分の運命がこれを決めたとしか言いようがないのです。私の今回の判断は、いつの日にか日本とイスラエルが手をつなぎ大きな影響力を及ぼして世界を安定に導くもとになると確信しています」

一度滅ぼされ国を失った民族が、約二千年後再び国を創ったという人類史上初めての快挙を現実のものとした奇跡の国イスラエル。その秘訣こそ、今の日本民族が学ばねばならないことだと糸川博士は考えていました。

多くのことを書き連ねましたが、イスラエルを訪ねるたびに、糸川英夫の声が聞こえるような気がします。

「ここを一人でも多くの日本人に見せたいのです」

まず私が、皆さんをお連れするテルアビブの独立宣言の家。1948年5月14日、初代首相ベングリオンが独立宣言をした、そのときのまま部屋が残されています。 そこで、ベングリオンの演説の録音を聞きます。そのあと誰ともなく歌いだされる涙のハティクバは胸を打ちます。

私にもようやく、その想いの一端がわかるようになってきました。ここで織り成されるすべては、「日本とイスラエルが手をつないで、やがて世界が平和へと導かれてゆく」という、糸川英夫の預言なのです。

んな糸川英夫博士の遺志を継いで「ヤマト・ユダヤ友好協会」は設立されました。そこに新しい時代に向けてのビジョンを接ぎ木して、ヤマトとユダヤが手をつないで世界が平安に導かれるよう祈って参ります。